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2017年9月 3日 (日)

お茶会に誘われて

自己主張が強くなった昨今、和の心が懐かしく思い始めていたこの頃、登山仲間からお茶会の誘いがあり参加した。
会場には多くの人が詰め掛けていて、茶道の人気の高さに驚かされた。
隣には、お茶会に誘ってくれた茶会メンバーの角本さんが居て、前に飾られた茶道具の説明をしてくれた。そして、品物の美しさと作法を教えてくれた。
初めて体験したお茶会は、菓子を食べ、お茶を飲むだけの事のようだが、ピリピリした作法がその行為を上回り、茶道が成り立っているようだった。
単純な私は、平和な日本があるから悠長に精神世界を味わうことが出来るのだと独りよがりの解釈をした。
しかし直ぐ、戦乱の世に現れた千利休を思い浮かべ、茶道の神髄は、平和とはかけ離れた中での精神世界だったに違いないと先程の考えを反省した。
茶器や作法の芸術的な事はおいといて、精神面での茶道を考えてみた。
では精神世界とは何だったのか。
それは、思いやりやおもてなし、礼節、感謝、など、かつて日本人が一番大切にしていた事柄が凝縮されているのではないかと思った。
さらに、茶道とは、周りの出来事に左右される事なく、精神世界を作り上げていく修行の場だったのではないだろうか。
この格調高い結論が出たところで、頭の中を開放した。

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